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デザイナーという職業

2018.04.05

たまには仕事の話でも。

僕は肩書を聞かれたら「webデザイナー」と答える事が多いです。デザイナーと言っても、ディレクションから簡単なシステムみたいなところまではやるので、デザインだけをやってるわけではありません。
このデザイナーって言葉にすごい憧れがありました。

デザイナーになりたい!

僕の通ってた高校はなかなかの進学校でした(これは自慢です)。と同時にその中で僕は落ちこぼれていました。テストではいつも400人中360位くらい。中学校まではなかなかのエリート街道だったので、最初の挫折だった気がします。どんだけ勉強しても順位が上がらなかった。
ダメだこの道では・・と思っていました。かといって、一生懸命やってる部活でもプロにはなれない。(実はテニスも結構いいところまでいったんですよ!自慢2)
そこで、なんか芸術系に行こう!と考えます。絵は昔から褒められてたし、父も絵が好きで理解があった。なんてったってカッコいい!不思議なもので、子どもの頃からなんとなくそんな道に進む気がしていた。漫画家とか。
というわけで小さな画塾に通わせてもらって、1年半くらいほぼ毎日絵を描いていた。そこにも上手い人はいて、僕は普通。なんだか自分の人生ってずっとこんな感じだ。だいたいまあまあ。
美大は落ちまくってなんとか受かったとこに進学。ここでもまあまあな生活を過ごして卒業。その後少し勉強やバイトしたりして24歳の時、東京でweb制作会社に就職。そこでコーディングから覚えて、もっと言ったら社会経験をさせてもらって、1年後くらいにデザイナーという肩書をもらった。すごく嬉しかった。17の時に目指したとしたら、8年経ってる。

今でも覚えてるエピソードがあります。
家族での会話。
僕「やっとデザイナーになれたけど、人に職業聞かれた時デザイナーって言うの恥ずかしい。」
これは、長い間憧れてなった職業だったから、僕にとってはすごく価値があり自慢な事で、なんだか人に言うのが恥ずかしかったのです。
それに対し、母と姉は「デザイナーなんてたくさんいるんだから、恥ずかしがらずに言ったらいいよ」って。
多分、僕を楽にさせようと言った言葉だったんだろうけど、少し面白くなかった。ああいう時、父は何も言わない。多分僕の気持ちを最大限理解してくれようとしている。死ぬほど理解力ない時あるけど。
ちなみにこのことをtwitterかなんかに書いたら、何人かのデザイナーが賛同してくれて、すごく嬉しかった。

デザイナーでいたい!

その後もwebのデザインの仕事をした。結構した。辛い事も多かったけど、基本は幸せだった。
ある時上司との面談にて、
上司「ディレクターにならないか?お前は多分そっちの方が向いている。」と。
嫌だった。デザインがしたくてこの道を目指したのに、デザインできなくなるの?この時多分28歳とか。
今ならその考えはすごい理解できる。自分はデザインよりはディレクションの方が向いていると思う。そもそもデザインもディレクションも分断された職域ではない。
けどこの時は断ってしまった。会社からしたら面倒な奴だ。そもそも自分にもっと才能があったら会社も僕をデザイナーとして成長させる道を選んだはずなのに、そこは気づかないふりをしていた。

現在

それから色々あって、今は福岡でフリーランスでwebの仕事を続けています。
仕事内容は最初に書いたとおり、ディレクションから実装までしたり。けど一番力発揮できてるな、ってのはデザインより前の段階なんだと思います。サイトの中身や構成を考えたり、サイト以外での解決を探ったり。
あの時の会社は、そのへんも見抜いてたのだろうか。
けれど今でもwebデザイナーと名乗ってます。伝わりやすい言葉だから便宜上使ってるのもあるけど、やっぱり気に入ってる。

昔は、同世代や若いデザイナーの優れたデザインを見ると、「悔しい!」って思ってたのですが、最近は開き直ったのかなんなのか純粋に「すごい!」って思えるようになった。特に若い子のそれなんかは、なんとかこの才能を伸ばしてあげたい、とか思う日々。もう敵わないなとか。逆に経験や頭を使う部分はまだまだ負けないと思うので、上手にチームが組もうとか。早く若い子を雇えるようになると良いのですが・・
とか書いてるけど、やっぱり悔しい気持ちもあるし、負けないぞ!という気持ちもあります。(どっちよおじさん!)

最近事務所で出会う若い子達のパワーを感じて色んな事を思い出しました。

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