2016.09.30
その夜僕は走る救急車の中で天井を眺めていた。
三文小説のようにスタートしてみましたYO!
この度晴れて椎間板ヘルニアになりました。
その経緯から今日診断されるまでの流れを紹介したいと思います。
みなさんにも同じような事が起きないよう、注意点などまとめています。
9/24(土)の夜、風呂から上がった娘を拭いてました。
違う部屋に娘の洋服を取りに行こうとして歩き始めた瞬間、首と背中にビリビリ!と電流が走ります。
聖子ちゃんもビックリで、本当に音が聞こえたような気がしてます。
一瞬でひっくり返ってしまい、起き上がろうとしても体が動きません。
正確には少しでも動かすと首に激痛が走るので全く動かせない。
この時は何が起きたか分かってないので、無理に動かすのもとても怖かった。
ちなみに特に変わった歩き方をしたわけでもなく、立った状態からただただ歩いただけなのです。
妻がちょうど車にモノを取りに行ってたので、とりあえず仰向けのままで妻の帰りを待つ。
この時は結構冷静で、娘泣いてるなーとか、妻は冗談と思うだろうなーとか、車に忘れものあったかなーとか、多分これ救急車呼ばないと運べないなーとか。
妻が帰ってきたので、ここに寝てるよーと状況を説明。思ったより驚かない妻に(なんでか!)すぐに救急車を呼んでもらい、多分5分くらいで救急隊員が窓から入ってきた。早いな!って思った。
色々と質疑応答があり、救急車に運んでもらう。
痛くせんで運んでよ!って願ってたら、担架にサッと乗せられて、ヒョイと空中に抱えられたので、少し照れてニヤけてしまった。
そのまま救急車で近くの病院に運ばれた。
妻は子ども二人を見ないといけないので、家に残った。
救急隊員って腕とかすごい太くてカッココイと思った。子ども時代にこれを経験してたら救急隊員を目指してたかもしれない。
それに引き換えweb制作ってなんだよ!誰の命も助けられないよ!(助ける案件もあるかもしれない)
担架で運ばれているので、ずっと天井を見ていることになる。
なので、電灯汚いなとか、ここどこだ?とか普段思わないことを次々に感じる。
特に電球汚いのが見えた時、あまり良い病院じゃないなと思った。それくらい全部の電球に苔とか汚れがビッシリ付着していた。
病室だったのかな、そんな感じのスペースに動く担架ごと収められた。
深夜なので研修医ばっかり。少しニヤニヤしてるのは目をつぶれば彼は丁寧に対応してくれたと思う。
問題は看護婦だった。採血と点滴用に注射をするのだけど、すごい下手だった。
針を刺した瞬間とても痛い。(通常の針の痛みはわかってるつもりです)
そしてこう言う、「痛いですか?痛いですよね〜?抜きますねー。」「は・・はい。」
これを三回リピート。チェンジ!と喉元まで出ていた。ちなみに今でもそこの肌が黒ずんでる。
結局研修医が手首らへんの血管に刺してくれた。そんな位置のパターンあるんか!そっちもまあまあ痛かったけど、もう諦めた。
その後も、最後まで点滴何も落ちてない事件(別称:痛い針オンリー事件)や、研修医同士がオレを挟んで空手の話する事件などあったけど割愛します。
この間もずーっと、首と背中激痛。喉カラカラ。
ある程度検査が終わると、長い間一人になった。
もっと「体調変わりないですか?」「大丈夫ですか?」とか聞いてほしかった。状況はどんどん変わっていくんやで!おぼえとき!
こういう時って大げさな事考えるもので、もう一生歩けなくなったらどうしよう?とか色々考えるわけです。
今家族が現れたら泣いちゃうかも、とか考えてたらほんの少し涙が出た。(大げさマン)
その後、簡単な診察結果を伝えられた。詳しくは判断出来ないけど、やばいやつではないということで一安心。
週明けにMRIしましょうと。よっしゃ!
入院などもなく、妻が到着したので帰ることに。痛いけど起き上がらされそこまで歩いていった。
妻に会うと「歩けるったい (笑)」と第一声。冷静。
愛する人を失うかもしれない恐怖で泣きそうな顔でもしてるかと思ってたよ。(大げさマン)
ただ、俺もそう思ったよ。歩けるんかいって。けどちゃんと痛いよ!首にもなんかはめてるよ!
というわけで、翌日は長女のお食い初めが予定されていたのだけど、延期に。
ごめんね咲ちゃん(長女の名前)。すみません両家のじじばば。
咲ちゃんはあの後洋服着させてもらったかなーと考えながら、家路に着いたのだった。
ここで金子咲あらため金子天使ちゃんの近影をどうぞ。
宣言してた注意点まで辿りつかずにごめんなさい。(結局単なる日記に)
とりあえずみなさん首のストレッチなどこまめにやりましょう。特にデスクワークの方々。